沿革
明治43年(1910年) | 明治大正期の事業世の中に電気・電話が普及していないころ初代松下伍郎が創業しました。(日露戦争のすぐ後)鋳物鋳造からの一貫生産による発動機製造・設備工事を受注。ブランドは「OSAKASEIZO」でした。工場は防府町宮市下鳥居(現在の防府市天神二丁目3番2号)にありました。 「発動機」とは: |
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昭和20年まで | 戦時中の事業戦時徴用工員を含め300人以上が生産に従事していました。昭和の戦争の時代・・・小倉造兵廠指定工場として砲弾などを鋳物鋳造から切削加工・仕上げまでの一貫生産・・・尋常小学校卒業生も養成工員として雇用し専用寄宿舎がありました。勤労動員の多々良中学校生徒も働いていました。 勤労動員中学生との記念集合写真です。 |
昭和20年(1945年)から | 戦後の事業ゼロからの再スタートとなりました。 昭和38年(1963)の上空からの全景写真です。旧国道2号沿いですが周囲は田んぼです。 |
昭和55年(1980年)から | 大型産業用機械の大型精密加工事業に特化大型マシニングセンターを設備(NC横中ぐり盤7台など) マザーマシンとは:「機械を作る機械」といわれる大型で精密で多様な加工ができる高価高精度なコンピュータ制御大型精密機械 |
NC横型中ぐり盤の設備と技術は日本トップレベル
防府鉄工所は、少数精鋭の大型精密機械知的加工技術集団であり、中小企業としては、NC横型中ぐり盤の設備と技術で日本トップレベルの地位を確立しています。
1910年の図面です。古いもの・・・・はいろいろあります。
1910年の図面です。