桜が好きな社長のブログ

始業前の小学校正門まえ

子どもたちは、始業前、校門前の空き地で嬉々としてすごす。オトコの子たちは群れかたまって顔を寄せ合ってドラゴンボールのマンガを覗き込む。女の子達は日本とおんなじのゴムとび。飽きると走り幅跳びをはじめた。男女とも赤いネッカチーフがかわいいなあ。


ひたすら緑の樹の大地。土は赤い

村山首相が泊まったホテル

村山首相が泊まったハノイホテルが拠点。高層ビルは、ほかにない。周辺はたくたくさん団地である。5階建て、13棟連なっている。のこのこ迷い込んでいく。Tシャツの若者たちが10人くらいで石の台でビリヤードをしている。ニコニコ和やか。犬を連れて走っていく女の子。手にはドラエモンの漫画本。


500mむこうの見本市会場がにぎやか

500mくらい歩いた先の見本市会場へ入ってみた。入場料3000ドン、30円。おつりをもらうと、そのおばさんの腕の下に幼稚園くらいの女の子が待ちかまえていて、ちょうだいという。あげました。笑顔がかわいい。別の日ですが、観光客がくるところでは、必ずお母さんが子どもを数人引き連れて、<お土産を買って><1ドルおくれ>と全員が熱心に取り囲む。ガイドさんからは断ってくださいといわれているので、ゴメンネ、バイバイ。と逃げ出すわけですが、一度、女の子にほっぺたをつねられました!小さな子がニコニコしながらだから、こっちも笑ってしまう。しかし、こんなの生まれて初めて。

見本市会場は、日本でいえば、デパートのバーゲンセールの雰囲気。どのコーナーも人だかり。すいているのは機械のコーナーだけ。展示もすくなくカタログだけ。お国は西独・中国・韓国だけ。ちょっと質問してみたけど、英語がほとんど通じなくて、まあいいか。人気は化粧品。香水が50円。すごく高いものは200円。そういえば周りの女の人は化粧しています。眉や口紅、それから香水!お化粧して、サングラスとパンタロンできめて、彼氏と腕を組んで闊歩する。いいですねえ。目立ちます。10年前の中国の雰囲気。食べ物もよく売れている。お土産にキャンディを買った。愛想がいい。おつりの計算も早い!ヨーロッパの店員さんより優秀。


ホテル向いの、5階建て13棟の立派な団地

団地の広場では子どもたちがにぎやか

団地の広場では小学生が10人くらいで輪になって、いや、団子にかたまってサッカーボールの蹴りあいをしている。キャアキャア楽しげ。女の子は赤いネッカチーフの制服のままでなかなかかわいい。むこうの本格的運動場では若者たちがサッカーをしている。見物もいる。なかなか本格的である。コンクリート敷きである。半パン、ランニングシャツ、裸のやつもいる。素足のやつもいる。みんな怪傑ハリマオみたいな精悍な感じ。しかし、眼が合うのに、誰も<外人だあ>という反応がない。張り合いがないなあ。

テント貼りで木箱の屋台本屋で漫画本を買った。ちばてつやの<おれは鉄平>と<ドラゴンボールZ>を買った。50円。となりのパン屋でパン1個10円。缶ビールを頼んだらバアチャンが、1本?2本?と指で確認すると広い道をむこうへ走っていってしまった。年寄りを走らせる気はなかったのですが、ほどなく、ニコニコ駆けてお帰りです。ショーケースの缶は見本だったんだろうなあ。恐縮恐縮。


雑貨屋さん

広い道路沿いは何でもあります。レストラン、肉屋、本屋、食料品屋。なかでも雑貨屋さんにはなんでもあって、衣類・洗剤・化粧品・バイク部品・カセットレコーダ・工具・文具・・・。おおむね1品づつ並べてある。アメリカのロックやニューミュージックのカセットが100本以上ぎっしり並べてある。市販のケースに曲名がタイプしてあるだけ。海賊版です。1本1万ドン・100円。子どもには高い買い物である。しかし、貼り付いて選んでいる。欲しいんだああ。

どのお店でも英語は通じない。それでも本屋さんにはアメリカの楽譜は沢山あります。フォスターからマイケルジャクソンまで。カーペンターズやビートルズもある。日本のものは見かけない。歌本とカセットテープを買いました。日本にいるベトナム人にあげることになっている。南のホーチミンではアメリカの1950年代ポップスが大流行中。


ドラッグストアです

なんでも運ぶ人力車

7人乗っておおはしゃぎ

学校がえりにシクロ(自転車式人力車)に男の子達が7人でワイワイ騒ぎながら載っている。運転手もニコニコしている。200ドン、20円。観光客は1万~2万ドン、100円~200円。夜だと10万ドン、1000円とも聞いた。


きれいな3階建て

ホテル向かいの立派な団地

自転車が多いでしょ

おしゃれな自転車がめだちます

山本寛斎のイベント会場があった

戦闘機も宇宙衛星カプセルも、本物展示

広壮なハノイの戦争博物館には実物が展示してある。ジェット戦闘機、戦車、ソ連の宇宙衛星カプセルもある。ミグ・ジェット戦闘機の座席は身動きできない。僕のサイズでこれ。ガイド嬢の説明の端々には<戦勝国の誇り><アメリカに勝った高揚>があふれている。現在でも105万人の軍隊を持つ国である。中国300万人、タイ28万人、日本24万人。300万人の北の政治都市ハノイ、700万人の南の商業都市ホーチミン、なんといってもアメリカが20年間おかねを注ぎ込んだ南のまちは本音ではアメリカ大好きに見えた。

ガイドは女子大生だった。ハノイ国際貿易大学、有名校である。将来は貿易の仕事につきたいという。当然親は共産党のエリートである。日本に留学したい半年50万円かかるというがこの金額は高いですか?と尋ねるので、日本では高くないですよ、と答えた。ベトナムの平均年収は3万円である。大金です。音楽の話では、急に生き生きして、バイオリンを習った。ヨハンシュトラウスのコンサートが年に一回ある。ウインナワルツガがとても好き。昨晩食事したレストランでは、女主人がピアノを弾いてくれたが、先月はそこでコンサートがあって月光ソナタが素敵だった。とふたりでメロディを歌ったりして盛り上がった。


みんなきりっとしてる

サングラスのおしゃれなお姉さま

クラッシック服装のおばさま

サングラスのおにいさん


とにかく、人がたくさんです。アジアの自慢!真正面から道イッパイにこっちへ来るんです。それでも<ダイジョウブ!>

空から眺めると、ともかく緑の田んぼばかり。土はコーヒー色である。ボクは初めての街に行く時はいつも空からの景色を楽しみにしている。東京なんかは、真っ白い貝殻を敷き詰めたように見えたなあ。

ホーチミン(昔のサイゴン)は、なんといっても人口700万人の大都会だ。それなのに街らしきものが見えないままに着陸してしまった。ガッカリ。ボクは、飛行機で荷物を預けないので受取カウンターで待つことが無い。一人で外へ出てみた。2階だてのターミナルビルは、昔の防府駅から、壁や通路の掲示や飾りなんかを全部取り払って、壁を真っ白に塗りました・・・という雰囲気である。

黒いズボン・白半そでシャツの男性たちが何でだろうか?押し合いへし合い人垣をつくっている。両替え所は?と見渡すと、ベニヤ板で囲って、学校机ひとつの、宝くじ売り場の雰囲気のものがポツンと1箇所だけある。歩み寄って、女子高生にしか見えない女の子に10ドル(1000円=10万ドン)渡すと<こんなにたくさん!!?>と言った。5万ドン札を2枚くれようとしたので、5000ドン札を21枚もらった。はにかみながら、それでも笑顔での応対が新鮮だった。あとで聞くと、平均的な生活費が1か月1500円だそうで、今の日本で考えれば<10数万円~20万円を両替えして!>となったわけですねえ。


売り出し中の工業団地!300ha(3km×1km)です。台湾の会社が仲介。3000坪で1億円!!まあ、50年間リースですが高い!?

アジアの工業団地の、よくある風景。れんが塀ですね。

三菱自動車の工場です。ただしノックダウン(現地で最終組立)だけ。

三菱自動車が今年(1995年)3がつからベトナムで小型バスの生産を開始した。その合弁会社社長から話を聞いた。オフレコ(ベトナムでは内緒!)も含む貴重な話だった。

ベトナムの人はレベルが高い。バイクの修理屋経験者がたくさんいてエンジンをいじるのは好き。終業後に英語学校に通ったり、とにかくよく勉強する。ほとんどが高校卒で勉強自体が好きなように見える。教えれば日本人よりうまく働くかもしれない。ただし、定着しない。半年くらいで、みんな、ドンドン辞める。ずっと同じ会社で働くという文化・習慣そのものがない。

工員は月9000円、事務職は月2万円、運転手は特殊技能者で月1万円~5万円。年収3万円のベトナムではいずれも高給である。日本人社長の給料は聞き損ねたが家賃が月45万円だそうである。4万円ではない。武装ガードマン付である。しかし、給与格差にベトナム人が不満を漏らし始めており気をつかっているとのこと。

ところで、ベトナムでは<給料は?>と尋ねると<サラリーか?テイクホームか?>と問い返されるそうである。ベトナムでは、会社で購入する品物は代金の数パーセントを納入業者がリベート(裏金)として支払い、これを積み立ててボーナスとしてみんなで分配する。帳簿にのらない、税金はかからない、統計にも当然載らない。なにをするにも、この<ご苦労さん料(と社長が言った)>が不可欠の由。というわけで、公称サラリーよりも、実際のテイクホームはかなり多くなる。

お米1kg30円、ミネラルウオーターが1本30円。水道水は沸かさないと飲めません。水道がない地域も普通。コーラ1本80円。パン1個10円・・・・そこで、三菱自動車のマイクロバス1台300万円!まだまだ個人のものになるには遠いとおい、自動車である。


一日の生産が4台!!間違い?!40台でも400台でもありません。向こうに見えるのは建設中の新・大・工場。

100名の鉄工所。製缶も機械工場もある。

ならんで説明を受けています。机や壁の雰囲気が昭和30年代でなつかしい。

国営の鉄工所を視察した。100人で街路灯を製造している。ホーチミン商工会議所職員が同行する。事務所は4階建てだが人気(ひとけ)がない。男性4人女性4人くらいがいるが、どの部屋もほとんど空き部屋。案内された会議室の扉(ドア)には共産党の封印紙が半分残っていた。部屋の隅の大きな書類ロッカーは封印紙を貼ったままである。そのロッカーの上には7月25日付の台湾高雄県の会社からの大型封筒が開封されず載っている。訪問は10月のことである。これらをいちいち確かめる私も変だが、これを質問は・・・できないです!


旋盤がありました。日本製、どうみても戦前の。

部屋がたくさんありますが、空き部屋多し。事務所には10名くらい。

製缶工場は、古くて大きな溶接機が1台あった。1台しかない。製品らしいものは、ゴミ箱?が8個、ステンレスの2mくらいの水槽?が<転がしてあった>。溶接の出来は70点くらい。意外に上手である。


なにかの容器ですが、1個置いてありました。

機械工場は旋盤が6台ある。50年以上前(1945年より前)のものばかり。日本製のものもあるが、ベルト駆動で、日本では博物館にもない。ちょうどホテルでみた新聞1面に<直結旋盤を導入>なんていう記事があって昭和30年代にもどった気がしてしまった。

フライス盤やボール盤もあって、削ったり、穴を空けたりしているが、総じて戦前?昭和30年代?のレベル。ということは加工の精度は10分の1mm程度。日本では100分の1mmが当たり前。数字ではわずかなちがいだが、桁がちがうということは100mを10秒で走るのと100秒で走る違いなので、差は随分おおきい。

しかし、なによりも、現場が暗くて、キタナイ。更衣室兼物置?はゴミ捨て場と変わらない。5Sが広まるのはいつでしょう?整理・整頓・清潔・清掃・躾ですね。

日本から、某メーカーが合弁の視察に来たが、その後連絡がないとのこと。まあ、無理もないことである。


首の長~い、背の高~い街路灯の頭の部分です。工員さんが4名。

国営鉄工所の続きである。社会主義国だから、作れと命令されたものをつくる。作った物は売れる(引取ってもらえる)そうである。競争はない。給料も競争はない。男性・女性・年齢・家族数・働き程度にかかわらず同じ給料だそうである。ホントかどうか知らない!

会社が払う税金は売上の20%だそうである。もうけという概念がないので売上が対象となる。合弁しようとすると、政府担当者とはなしがかみあわないよ・・・・とガイドブックに載っている。えらいこっちゃとおもう。


通りは人と、自転車と、三輪リヤカーであふれてます。

ここでは、バイクばっかりですね。バイクのことは<ホンダ>といいます。

10mを超える高さの立派な街路樹の通りを、クラクションを鳴らしっぱなしでバスが<突っ走る>。交通信号はない。道路一杯にバイクと自転車があふれている。後ろは全然見ない!右折も左折も自由自在、勝手気ままに見える。それでいて5日間でぶつかるところは見なかった。たいしたものだと、変に感心してしまう。


ここは、中級~高級アパートですねえ。

お~、各部屋にエアコンが付いている!

<戦争博物館>といいます。アメリカはこんなにわるいことをした!という展示です。

ふりかえれば、サイゴン陥落が1975年、訪問の20年前である。ベトナム戦争は1960年からでいわゆる北爆が10年間続いた。ルバング島にいた小野田少尉が、毎日上空を飛んでいくたくさんのB52を見て、日本がベトナム北部で健在だと判断したそうだが無理もない。


ベトナム戦争1960~1975、いわゆる北爆は1965~1975.アメリカ人がたくさんいますが、まあ、20年前に戦争は終わりましたけどね。

4年前に建った高層ホテルです。年収3万円の国ですが、一泊1.5万円~3万円でする。

ホーチミン(旧サイゴン)はフランスが明治・大正時代に70年かけて造り上げた街である。ロータリーがあってそこから放射状に広い通りが伸びている。つまりパリの街づくりと同じである。といっても、最初の構想がおなじということで、今のパリと比べてはいけないのである。高層ビルは4年前に建った外国人向ホテルなどしかない。そこに泊まりました。年収3万円の国で一泊1.5万円~3万円である。バンコクでの高層ビル建築ラッシュなど全くなくて静かなものである。


ホテルからの景色。その1

ホテルからの景色。その2

ホテルからの景色。その3

あの洪水のようなバイクは1台20万円するそうで、年収3万円の人たちがなぜ?なぜ?みんなが買えるのか?これはまた、あとで。

男性は黒ズボンに白シャツなのに女性は色とりどりである。つまり、大変稀にだが、東京のオフィス街から抜け出てきたようなオシャレな女性をみることができる。男性で上着を着た人をついに一人も見なかった。男性は道端にしゃがみこんで、まっ昼間から4~5人の井戸端会議があちこちで開催されている。

しかし、街へ出れば、軒を連ねた商店にはカラーテレビが何十台も、まるでマルチウインドウのように積み上げてあったりして(!)、たしかに活気はある。9年間のドイモイ(経済開放政策)の成果だろうか。まあ、アメリカ次第と思う。アメリカが経済制裁を解除したのは昨年(1994年)である。


大きな市場は人でいっぱい

街の散髪屋さんです。自転車の女性もいます。


27年前の工業特区深圳市(シンセン)です。

1991年10月、今から27年前(!)です。広東省広州市と、経済特区深圳市(シンセン)の工場見学をしました。新聞社主催です。メンバーは、ほとんど鉄工所の社長です。広州市は人口600万人。深圳市は200万人だが10年前は5万人(!)でした。ただし鉄条網で周囲を囲ってあります!


深圳のSANYOの工場

4階建てです。日本以外ではよくあるんです。

ペナントのような標語掛けが中国流です。法人税は10%~15%。優遇税なり。

いろいろなものが「木製」です。なつかしい。ただしピカピカ。

広州市の経済部の主任さん。まともなルートでは10年経っても会ってもらえないらしい。もう朋友だから次からは私に直接言ってくれ。といわれました。ご馳走料理「竜虎の料理」です(へびとねこ・・・の事なり)。定年の60歳になったらゆっくり休みたい。若かったら・・・商売をしたい。子どもは2人。夏は湿度70%~80%でたまらん。英語はダメ、日本語もダメ。通訳を介していろいろ話しました。

パンフレットたくさん。いろいろです。なつかしい色合いですね。昭和30年代的です。

この方は、工場長さんですが、防府生まれで、筆者の家から自転車で3分くらい。高校も先輩です。奇遇です。

平均年齢21歳、3500人います。みんな自転車通勤です。

見渡す限り20代の若い女性です。みんな田舎から出てくる。最初3日くらい海をずっと見ている(海が珍しいから)。それからあっという間に、ミニスカートになる・・・・そうです。

これが3500人分の自転車の一部ですよ。

その、自転車置き場の前で写真をとりました。

みんな静か(?)かな?ホーロ製のどんぶり式のお弁当も普通だそうです。工場の昼食40円(内30円は会社補助)。戸外で人に見せびらかしながら食べるのが習慣。民家でも外で見せて食べる。「メシ食ったか?」があいさつ語です。

お給料の話し;特区のSANYOでは、普通の人は月給6000円・大卒1万2000円。EPSONでは、7000円・大卒3~6万円(!)。残業割増し1.5倍、休日2倍、祝祭日3倍。特区以外では月給5000円くらいだとか。広州には大学が25ある。(ただし、国立大学の卒業者は国が勤務地も職業も決めます)筆者が中学生のころ先生月給1万5000円~。高校生でバイトして、日給500円でLPレコード1500円のを2枚買った!


整理・整頓・清潔・・・・と、清掃かあ。

まだまだ、赤土の大地が広がっています。

赤土を掘ってまっすぐな道ができるところ。

こんなトラックです。やっぱり昭和30年代風ですね。

ここも赤土で、大きなダンプカーが走ります。舗装はこれからのお楽しみ。

掘る前は、あの高さの平野だったんですね。道になります。

登ショウヘイさんのスローガン。10年前からスタート。

野菜がいろいろ。黒ズボンと白シャツ。

これから高層ビルが建つんでしょうね。

赤い服でミニスカートのお母さんです。

さて、みんなのファッションはどうかなあ。住宅不足で2DKに2家族、3DKに3家族が普通とか。住居が上海では一人3m2・深圳では一人10m2とか。子供は一人だけ。農村では長女が生まれたらもう一人まで許可がでるそうです。

道路舗装は、手作業で、コンクリートを流しこむんです。やっぱり昭和30年代か?

アヘン戦争勃発の地の景色です。北京から3000Km離れたこの地は、孫文や毛沢東の革命の発祥の地でもあるデスね。古くから豊かなんです。食は広州にあり!

広東省の省都、広州市の広州駅です。広東省人口6000万人。広州市600万人。

福岡~香港へ飛行機1時間・香港~広州市へ電車2時間でした。ちなみに福岡~台北へ飛行機1時間40分。香港1000平方Km600万人・台湾3万6000平方Km2000万人・広州市7500平方Km600万人・広東省21万平方Km6000万人・日本38万平方Km1億2000万人・・・です。


広州市の大通り

10年前(1981)から個人商店がOKになり、広州市には個人経営飲食店が6万軒。6年前(1985)から経済特区ができて外資や合作会社をどんどんつくっている。人民服は無、毛沢東も無、テレビでは台湾の国会の様子をやっていました。大通りは自動車が4車線を埋めて走り、脇の2車線を自転車があふれています。女性は化粧してミニスカート、商店街は、笑顔の人たちでいっぱいです。しあわせそう。(ただし移住の自由はありません)1元27円。


広州市の裏通り

デパートかと見えますが、これが工業団地なり。

昨年できた建物だそうですが・・・・ん?という風に見えますね。

日本にあって広州の街中にないもの。神社仏閣・ヌード写真・本屋・駐車場・開業医・スーツ姿ですね。少ないものは眼鏡の人。会わなかった。多かったもの。電線に鈴なりのスズメ。

物価の話;カラーテレビ6万円~9万円、洗濯機1万5000円~2万4000円、ルームエアコン30万円、電気炊飯器3000円(安い)、自転車9000円、子ども用自転車5000円~7000円。失業者・待業者は子守をする。食事つきで600円~900円。


台湾の機械展示会で横中ぐり盤です。なんと1988年、30年前ですね。30年前の社長です。

台湾は人口2000万人、面積は九州の7分の6。GNPは日本の3分の1.首都台北は人口250万人で人口密度は世界1~2位。
わが社が自慢の<横中ぐり盤メーカー>は台湾に1社だけ。10年間で100台作った。ただし去年一年で50台売れた。ただし、日本の東芝機械(世界一のメーカー!)の完全コピーで、色や名称ロゴまで同じ。(買いませんよ。もちろん)・・・・以下、コメントはどれも、1988年時点のものです。


標語が読めますか?快快楽楽上班 平平安安回家 享受美好人生 保障家庭幸  いいことかいてありますね。

標語は、やっぱり<5S>がいちばん

このような神棚が、台湾もタイも、ベトナムも、ありました。

これは、機械の台座(本体フレーム)の鋳物素材です。これを大きな機械で削ります。

当時としては、立派なマシニングセンターです。頭の上に弁慶式に刃物工具がついています。工員さんは特別待遇、月給20万円。ふつうは12万円くらい。単純労働なら6万円くらい。

新聞社主催の工場見学旅行です。みんな社長さんです。35人もの大団体ですが、熱烈歓迎してもらえました。

機械見本市です。吹き抜けの立派な会場です。

機械見本市は野球場くらいの広さで、立派!台湾のやる気を象徴している。かつ、とても盛況だけど、工作機械をつくるには、工場はまだまだです。ホコリっぽくて、古い機械に平均年齢30歳以下の工員さんたちがたくさん集まっている。研削盤メーカー、電子部品用プレス加工メーカー、三菱電機と合弁の電気部品メーカーを見学しました。
横中ぐり盤は、現場では見かけませんでした。そうでしょう。超高い機械です。


今の台湾の男性が欲しいものベストスリーは、<男の子・クルマ・家>だそうです。クルマはホンダシビック250万円。台北郊外2DK1500万円、台北市内2DK3000万円!超高いです。おおむね2世代で住むらしい。


横中ぐり盤です!ただしなにからなにまで、東芝機械製のコピーです。

せまいですけど整頓してある工場でした。

労働基準法がおととしできて、人件費が急騰。マシニングセンターを使っているひとの給料はなんと20万円!超高給与です。平均は12~13万円だそうです。単純労働は6~7万円。

自社で社員の育成・教育はしない・・・。引き抜き、引く抜かれる・・・、という社会習慣らしい。それでも製造業の工場団地がたくさんある。標語は日本語?ともかく漢字です。読めば、私でもわかります。


すてきなひとでしたよ。赤い服も目立ちましたけど。

制服でない・・・のは普通です。

この標語も、よく使われていますね。

すらっとした脚ですねえ!

子どもがしっかりしています。日本みたいです。

エアコン普及率は3%。そのせいか夜中の12時すぎまで街はひとでいっぱい。毎晩が、防府天満宮のお祭り以上、初詣以上の人出です。あたりまえかも。
女の子の夜の一人歩きも多い。お年寄りは歩いていないなあ。

街は、道路は広いです。その広い道路でスクーターは2人乗りが40%くらい。4人まで乗りますね。前にひとり、うしろに2人です。


それなりの高層ビル、それなりのラッシュです。


鉄板を巻いてあるのですが、あの杭は何?


もう一度、どうなっているか、よく見ましょう。

杭(くい)は、こうなっています。

もう、溶接した箇所もあります。

作業は、こんな風です。

鉄板を巻く⇒溶接して大きな、大きなパイプをつくる⇒大きなお皿(鏡板)に載せて⇒パイプとお皿をくっつける・・・これがなかなか難しいのです。ここが職人の腕(実はアタマ)です!!


うまくいったか?よく見る。

工場のなかは、こんな様子

横にしてみると、こうです。横にしてあります。

どうですか?なかなか、おもしろそうでしょ?うまくいかないこともあり。うまくいくこともあり。うまくいかないのを何とかして・・・できあがって<やった!>という感激がある。・・・・というのが手作りのいいところ。横中ぐり盤での加工はコンピューターに数字を、とにかく打ち込んでいって、それが、機械の動きになります。タテヨコの動き、刃物軸の回転などなど・・・。
こっちの手作りは、眼で見て、ここをこうすればこうなるね・・・。と考えて、こうしてこうして・・・こうするんです。最初に<ここをこうすれば、こうなるね>と考えるところが<職人の腕(実はアタマ)>なんですよ!面白いと思うなあ!楽しいと思うなあ!!

もちろん、まだまだ続きます。今は序の口。これからちゃんとしっかり溶接して⇒マンホールやノズルをつけるので、そこへ穴をあけて⇒マンホール、ノズルをたくさん溶接して⇒脚もつけて⇒てっぺんのリング手摺もつけて⇒寸法を検査して(図面と数ミリしかちがわない!)⇒上まで一杯に水を入れて(洩りませんよ!)⇒できあがり。・・・・超かんたんにいうと、こんな風につくるわけです。


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